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  ウルフフォーディングアンドカンパニーにようこそ!

100年を超えるウルフフォーディングの歴史

メインストリートに続くレンガ造りの質素な箱型ビルであるウルフフォーディングアンドカンパニー社の建物は、外側から見ると、リッチモンドの古くからあるショッコーボトムの倉庫や小さな製造工場とさほど違いはない。よく見ると、そこに小さな青と白のダンサーのシルエットの看板がある。駐車場には、“TUTU4U”とかかれたナンバープレートをつけた車。これらの小さなヒントだけでは、誰もこれがラメとサテン地の舞台衣装の世界と結び付ける事など出来ない。この飾り気のない建物が100年以上もの間、ダンサーとパフォーマー達のためにコスチュームを作っていた由緒ある会社であるとは、誰も思わないだろう。

しかし、この建物の中に一歩踏み入り、目立たない1階のオフィスを通り過ぎると、これは普通の会社ではないと思えてくる。ここには、特徴のない外見からは伝わらない「温かさ」がある。まず第一にとても親しみやすい場所だ。笑顔があふれている。誰も名字でお互いに呼びあわない。ジェフ、ネット、スチュアート、カルビン、エド、ダニー、ベティ、サム、ドーラ、スー、ロニー・・・大企業にありがちの伝統的なユニフォームは、全くない。スーツやネクタイ、ハイヒールは、ここでは余り見かけない。彼らの多くが、ブルージーンズとスポーツシャツ姿で仕事をしている。

ここでは、これと言って規則はない。誰も役職など余り気にしていない。唯一、長い廊下の端の2つのオフィスにたくさんの人が出入りする流れから、その場所で最終的な決定が下されているように思われる。そこでは、スチュアートとジェフ・フェルドシュタイン兄弟が、彼らの両親、ビルとハニーが1984年に定年退職した後の会社経営の監督をしている。

フェルドシュタイン兄弟は、経営業務を分担し、スチュアートは、生産、財務、そしてオフィスの運営を管理、ジェフは、マーケッティング、買い付け、計画等の担当をしている。最も大きな決定は、スタッフメンバーの意見も聞きながら、2人で一緒に決めると言う。

「私たちの意思決定は、ほとんど非公式に行われます。」とスチュアート・フェルドシュタインは話す。「私達は、2人で、そしてスタッフも加えて話し合い、論理的で賢明な行動を取るようにします。直感やフィーリングが、このビジネスでは重要視されます。」

彼らは、特に自分自身の役職について重要視していない。正式には、スチュアートは、会社の社長で、ジェフは、副社長である。しかし、ジェフが言うように、これは、会社が法的に誰かに役職をつけなくてはならないという理由から、役職をつけているに過ぎない。「私達の両親が退職した時、私とスチュアートは、誰を社長に決めるかで、長い話し合いをしました。現在は、スチュアートが社長です。」
スチュアートは、ファミリー感覚の、形式ばらない仕事場にとても貢献している。「私達の両親が、ウルフフォーディング社を1959年に買収した時、それはそれは、小さな経営でした。私達1人1人が、仕事を仕上げるため協力し、ずっと長い間会社で働いてきた経験のある2,3人の従業員に支えられながらここまで来ました。私達は、そんな役職や仕事の内容について気にするほどの余裕も人数もありませんでした。」とジェフは言う。会社が大きく成長するにつれ、経営管理は、フェルドシュタイン1代目から2代目に渡り、すべての従業員にカンパニーのファミリーの一員であると自覚させるようになっていった。

「私たちは、常にお互いの信頼関係、忠誠、そして友情を大切にしました。厳しく規格化された状況でとても生産性が上がるとは思いません。」

しかし、和気あいあいの雰囲気は、いつも続いているわけではない。今は和気あいあいの雰囲気でも、忙しい時期になると、スタッフ全員がそれまで備えていたエネルギーを解き放つようになる。「ピークシーズンである1月から5月中旬まで、私たちのオペレーションの「真の姿」になります。その5ヶ月弱の間、ウルフフォーディングアンドカンパニー社は、何十万もの衣装やアクセサリーを作り、アメリカ国内とカナダ、そして外国のダンススクールに送るのです。何百もの注文が入り、何千もの衣装が毎週出荷され、そのペースはとても早く、大忙しです。」

ウルフフォーディングアンドカンパニーの社内は、向上精神やユーモアがある。それは、コスチュームビジネスのユニークな特徴でもある。それぞれに毎日が“ショータイム”。こんなにキラキラしたラメやスパンコールの中で ハッピーでないのは難しい事だ。

「私たちは、何百ものパフォーマーの方々のほんのささやかな役目を果たしている感覚があります。」ダニー・ケインは、このように話してくれた。「ウルフフォーディングアンドカンパニーに働きに来ることは、家に帰ってくるような感覚です。私は、演劇の家系の家族の中で育ちました。だから、私は、注文商品が出荷された時、あちらの様子が想像出来ます。スタジオ、先生たち、親御さんたち、生徒さんたち、興奮、心配、ドレスリハーサル、そしてショータイム。忙しい時期が過ぎ去り、すべての注文を終わらせた時、私は、“さあ、休もうか。みんな。”と言います。」

ケインがウルフフォーディングの会社を家のように感じるのは、不思議なことではない。なぜなら、その劇場とかかわりあった歴史は、1893年にさかのぼる。ウィリアム・ウルフとアン・フォーディングは、当時オペラ歌手であった。運命のいたずらが、彼らをパフォーマーから衣装生産者へと転向させたのだ。この2人の歌手はボストンのキャッスルスクエアシアターで舞台があった時のこと、ニューヨークから送られてくるはずの彼らの衣装が、届かなかったのだ。彼らには、“ショーは、何があっても遂行されなければならない。”という信念があり、アン・フォーディングは、自分達の舞台用の衣装作りの為、週末はずっと布を切ったり縫ったりして過ごしたのだった。ウィリアムの手伝いもあり、2人は、当日には、無事 時間通りキャッスルスクエアのシアターに登場する事が出来たのだった。

次のオペラ歌手の一座が劇場に到着した時、ウィリアムとアンの運命は決定的に方向づけられた。彼らの衣装は、またボストンに到着しなかったのだ。ウィリアムとアンは、その地域や布地の仕入れ場所をその時にはすでに知っていた為、その新しい役者達の為にも衣装を作ることになった。彼らの仕事は絶大に評価され、また他にオペラの公演のの契約も入ってなかったので、2人は、ボストンに留まり、フルタイムで舞台衣装作りをした。この様にして、オペラ歌手のウィリアムとアンは、ウルフフォーディング社の舞台衣装屋になったのだ。

この若い企業家の2人は、スチュアート通りの建物に定住した。そこは、凝った木造建築、スウィングドア、そしてバルコニーまで通り抜ける素晴らしい階段のあるそれは誰が見ても壮大な場所だった。ここは、すぐに有名、無名にかかわらず、他の地域からのパフォーマー達が集まる場所となったのである。ウルフとその友人はしばしばアリアを披露し、時々、最後まで全てのオペラを歌ったという伝説がある。有名なエンリコカルーソも、その場所に集まる常連だったという。彼の偉大なテノールのステージで擦り切れた2つの舞台衣装は、今も、ウルフフォーディング社の大切な宝となっている。

ウィリアム・ウルフとアン・フォーディングは、物語のような幸せな結婚をした。彼らは、1920年代後半まで、一緒に会社を運営し、その後、アンの甥であるマークコールが事業を受け継いだ。コールは、変わり者であった事以外は、余り知られていないが、喫煙に対して強く反対し、怒りっぽい性格であったらしい。

フェルドシュタイン達が1959年後半に会社を買収するまで、ウルフフォーディング社は、カスタムメードの注文、舞台衣装用布地、トリムやアクセサリー等を扱い、また、貸衣装業もしていた。しかし、まだ現在のレディメード(既製品)のメールオーダーコスチューム業というビジネスには至っていなかった。ほとんどのダンスの先生は、布地を買い、親御さんたちやプロの仕立て屋に頼み、自分たちのコスチュームを作るという方法を取っていた。ウルフフォーディング社の市場は、ニューイングランドまでで留まっていた。

ビル・フェルドシュタインがウルフフォーディング社買収当時の模様を語る。「私と兄弟は、ジェネラルテクスタイルという布地会社を何年もの間、運営していました。ウルフフォーディング社の持ち主が、私たちに会社の買収を申し出てきた時、私は、この布地ビジネスの経験は、衣装製造業に十分つながるものがあると確信しました。でも実際仕事を始めてみると、私がまだ知らない事がたくさんあることがわかりました。私たちは、それからずっと、多くのことを学び続けました。信頼出来るウルフフォーディングの従業員と家族の皆の協力には、今でも心から感謝しています。」

「当時は、真のファミリービジネスでした。」ビルの妻ハニーは言う。「最初は、コスチュームを作る事について、私は、全く無知でした。気がついた時には、私は、小売店のフロアで布地の長さを測っていました。私は、定年退職するまで、そこでずっと働き続けました。」

彼女の妹であるドラ・フェインズィグ(ドウおばさん)もこのファミリービジネスに加わった。彼女は、今でもボストンストアで働いている。32年間ウルフフォーディングで働いた思い出の中には、セレブが店に来たというものもある。「ビートリス・リトルがティアラを買いに来たのよ。それから ジュディ・ガーランドが演劇用のピエロのコスチュームを借りたこともあるわ。」

息子達、スチュアートとジェフは、会社と共に成長した。スチュアートが16才の時、両親がウルフフォーディング社を買収し、彼は、布地を切ったり、ニューイヤーのデコレーションの飾りつけを運んだりした。弟のジェフは、当時11才であった。

「5Fのフロアでいつも遊んでいたのを覚えています。」と彼は言う。「そこは、子供にとって 不思議な場所でした。剣や帽子をはじめに、子供達が大好きなありとあらゆる物がありました。」

彼の父は、大変だった当事の事柄を今でも鮮明に覚えている。「当時、建物の2つの階には、暖房が入っていませんでした。ですから、冬の朝の5時に厚いオーバーコートとブーツを履いて、スパンコールのレオタードを裁断していた日々がありました。」とビルが言う。ビル・フェルドシュタインは、代表的な従業員の功績について語った。「ジェネラルテキスタイルからウルフフォーディングアンドカンパニー社に移りプロダクションを運営したチャーリー・シェー。残念ながらもう他界しましたが、52年もウルフフォーディング社で働き、ウィリアム・ウルフとアン・フォーディングと共に働いた最後の従業員のエスター・スターン。そして、1972年まで会社のデザイナーだったゲルトルート・ベンソン。これらの従業員達は、今でもウルフフォーディングアンドカンパニーでは忘れることの出来ない存在です。」

「ウルフフォーディングアンドカンパニー社が始まった当初は、ダンスコスチューム、特別注文、コマーシャル契約などが主でした。私たちは、ウェイトレスの制服から日本からのスパンコール入り布地の特別注文まで様々なオーダーを受けていました。シェラトンホテル、ダムフィーホテルは当時の大切な顧客であり、ニューイングランドのパトリオッツチアリーダーチームの最初のユニフォームも私どもの製品です。その他、私たちは、アメリカ中の何百ものサンタクロースの衣装も作りました。おそらく、当時、米国内で私どもの会社が一番多くのサンタコスチュームを作っていた会社だったと思います。」とウルフフォーディングアンドカンパニー社 前社長のビル・フェルドシュタインは言う。

常に明敏なビジネスマンであったビル・フェルドシュタインは、既製品コスチュームの高まる需要に目をつけた。次第にビジネスを、既製品マーケットへと方向転換していったのである。

ビルは、ゲルトルート・ベンソン女史が、当時、ウルフフォーディングアンドカンパニー社を大きくしていった重要な女性だと話す。「ゲルトルートは、バレエに深く愛着を持っていました。彼女は、常にコスチュームを着たダンサーのムーブメントを大切にし、コスチュームを作成するようになりました。今日、ウルフフォーディングアンドカンパニー社では、“Costume made to dance in” という言葉をモットーに、ゲルトルートの哲学、踊る為のダンスウエアを宣伝しています。品質の高いコスチュームは、ダンサーに自由な快適さを保証します。」とビルは話す。この様な理由から、ウルフフォーディングアンドカンパニー社は、いつも伸縮性のある布地を使っている。当社は、既製服に初めてライクラ素材を紹介した会社の1社である。

1962年ウルフフォーディングアンドカンパニー社は、最初のダンスコスチュームのカタログを作った。「このカタログに掲載されたコスチュームの中で一番安いものは、$4.95位だったと思います。当時のコスチュームの平均価格は、$6.95位でした。メールオーダービジネスが急速に成長し、私どもの会社は、以前のアメリカ北東部中心のビジネスから、現在のアメリカ全土とカナダにかけて舞台衣装を送るビジネスになりました。」

ウルフフォーディングアンドカンパニー社は、1979年フェルドシュタインファミリーが買収してから大きく変化していった。会社は、何度も移転し、貸衣装ビジネスは、1960年後半に売られた。今日では、売り上げの90%は、ダンス用舞台衣装によるものである。ボストンとリッチモンドに小売店を置いているが ほとんどの売り上げは、カタログによるものである。

「サンタクロースのコスチュームを売ってからずいぶん経ちます。」とジェフは言う。

どれだけウルフフォーディングアンドカンパニー社が成長したかは、最初のカタログと100年記念エディションのカタログを比較するとよくわかる。初めのカタログは、小さくてポケットサイズ。その中に26種類のデザインのコスチュームが掲載されていた。現在の新しいカタログは、本のサイズで200種類以上のダンスコスチュームとアクセサリー、ダンスウエア、そしてシューズが載っている。

「コンピューターは、デザイン、プラニング、カッティング、そして注文、出荷におけるまで、すべての業務で役立っています。新しいテクノロジーの利用なしでは、これだけの量のビジネスをこなすことは、難しい、いや不可能でしょう。」とジェフは言う。「とはいえ、衣装を作るのは、“人”の仕事です。コンピューターは、数を打ち出したり、型紙を広げたり、型紙を完成させるのに役立ったり。でも新しいデザインを考えるのは“人”ですし、問題がおきた時、お客様に対応するのも、コスチュームに繊細なレースの布切れを縫い付けるのも“人”の仕事です。」

「お客様への心遣いは、特に重要な課題です。」とベティは話す。「私たちが受ける注文のほとんどは、メールオーダーによるものです。それぞれのお客様に個人的に接する事は、とても重要な事です。カスタマーズサービスのスタッフがお客様と問題点について話し合う時、私たちスタッフは、お客様のニーズを大切に考え、一人の“人”として心から対応出来る様 常に心がけています。」

100余名のスタッフは、いつもダンスコスチュームをデザインしたり、縫製したり、1年中忙しくしている。デザインスケジュールと製作スケジュールは重なり、今年の注文が1月中旬にピークに達する頃、デザイナーのネット(ジェフのワイフ)、スーとペギーは、来年度のコスチューム製作のコンセプトワークにとりかかる。今年の注文がすべて出荷される頃、引き続き次の年のコスチュームの布地、カラートリムなどのセレクションが始まるのだ。

「サクセスフルな新デザインのラインを作りあげることは、経験にもよりますが、勘も頼りです。」とネットは言う。「常にポピュラーであるクラシックバレエの衣装もありますが、ソーシャル、エンタメ、そしてファッション等のトレンドも重要なポイントです。例えば、ある映画が大ヒットした後、このテーマをリサイタルで取り上げるグループがたくさんあります。またラップの様な曲が大変流行したと思うと、だんだん下り坂になったりもします。最新の流行に沿って6~8ヵ月前から計画を立てるのは、難しい事でもあります。」とスーは付け加える。

次年度シーズンのデザインは、7月中旬にはもうすでに決定している。カタログの写真撮影は、8月中旬から下旬に向けて行われる。50人程の選ばれたダンサー達が毎日12時間、新しいコスチュームに身を包み、カメラの前でポーズを取り、写真撮影されるあわただしい1週間だ。このカタログのモデルになっているダンサー達は、4月に行われるオーディションに受かった学生のダンサーだ。「私たちは、プロのモデルを使いません。お客様は、本当のダンサーが踊る時のコスチュームを探しているからです。」とジェフが話す。カタログは、10月初めに印刷され、11月から12月にかけてお客様の元に届けられる。ウルフフォーディングアンドカンパニー社のスタッフ達がカタログの評価を待っている頃、徐々に注文が入って来て、また同じプロセスが始まるのだ。

ウルフフォーディングアンドカンパニー社の開業100年を記念してスチュアートとジェフは、会社の過去と100年もの間頑張って来た歴史を振り返る。「私たちは、従業員、お客様、そして商品の品質を大切にして来たという過去が、私たちを現在に至らせているのだと思います。私たちが今話したことは、1893年のウィリアム・ウルフとアン・フォーディングから受け継がれ、そしてそれらは、確かに私達の両親に受け継がれたのです。」スチュアートは言う。「世の中に喜びをもたらすものを作り出すのは、とても光栄な事です。」

ジェフは付け加える。「私達は、舞台芸術に心から敬意を表しています。まるでウイリアムとアンが私達のそばにいて、いつも耳の横で“SHOW”(=最も大切な事)に力を入れるようささやいて教えてくれているようです。私達は、実際にステージで踊ったりはしません。また、リハーサルのあわただしさも体験しません。でも、私たちは、お客様がウルフフォーディングアンドカンパニーのコスチュームを着て、ステージに上がった時、すべてのパフォーマンスのささやかな役目を果たしていると思いたいのです。これが、私たちの最高の喜びです。」

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